絶対音感は音楽に携わる上で神格化されるほどの扱いを受けている。
前回の記事でも、私は絶対音感に否定的なニュアンスをもたせていた。
私にも絶対音感が備わっているようが、その恩恵を受けることは殆ど無かった。
相対音感の方が便利だからね。しょうがないね。
音楽をする上で絶対音感は不要なのか?
チューナーがある
文明の発達により、機械が音階を判別する時代だ。
しかも、高性能なチューナーが1000円ちょっとで手に入れられる。実際安い!
もしものときには缶詰のチューナーなんてのもあるゾ!
人間が音階を判別する必要がある時代など、とうに過ぎ去っている。
耳コピするのに絶対音感である必要がない
絶対音感を持っていると、既存の曲を耳コピする際に役に立ちそうだと思うだろう。
しかし、そんなことはない。
絶対音感が無くとも、曲のキーさえ見つけてしまえばなんとかなるものだ。
キーを見つけるのにかかる時間は10秒ほどか、あるいは1分ほどか。
荒野のウエスタンで早撃ちするのではないのだから、そのぐらいの時間など誤差の範囲内だ。
現代の音楽は絶対音感が通用しないのもばかり
歪みに歪みまくったディストーションギター。
コンプレッサーでカッチカチになった迫力のドラムサウンド。
耳を裂き体の芯まで響かんばかりのシンセサイザー。
これが現代の音楽を構成している音色だ。
これらの音色は、絶対音感を持っている人でさえ音程の判別が困難と言われている。
音の高低を判別できるギリギリのラインでせめぎあう、それが現代の音楽だ。
絶対音感を身につけた過程こそが重要
ここまでで、現代における絶対音感をことごとく否定したが、絶対音感を身につけるに至るプロセスまでをも否定はしていない。
なぜなら、絶対音感を身につけるプロセスにおいて、音楽的な響きを体得することになるからだ。
絶対音感はそれそのものだけでは何の役にも立たない。
和音の響きや進行感の習得、名曲のアナリーゼなどで得た音楽知識があってこそ生きるものだ。
当然、音感を養う段階において、それらも同時進行で習っているはずだ。
つまりは、「絶対音感を持っている = 高等な音楽の教育を受けている」という証明にもなる。
私は、これこそが絶対音感が神格化されている根源であると考えている。
音楽の才能は生まれで決まる。
幼少時代に野山を駆け回ることしかできなかった私は、音楽の英才教育を受けた彼らには逆立ちしても勝つことはできない。
残酷だが、これが世界の真実だ。

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