アブさんさん(id:dulbywork)やyukarinさん(id:love-musicflavor0928)にて「今年出会った、最高の1曲!!」という企画を立ち上げていました。
私も拙いながらも音楽ブログを運営させていただいているということで、この企画に参加させていただきます(もちろん言及OKです。)
私の「今年出会った、最高の1曲!!」はアストル・ピアソラのリベルタンゴです。
この曲を知ったきっかけは地元で催されていた室内楽の演奏会で出会ったことです。
クラシックに留まらず様々なジャンルと融合した音楽性に、思わず一目惚れしてしまいました。
タンゴであり、クラシックであり、そしてそれらのどちらでもない「リベルタンゴ」というジャンルを確立してしまいそうな、そんなパワーを感じる曲です。
Libertango in Berlin Philharmonic 2014 (amazing!!!)
タンゴ
リベルタンゴはその名の通り「タンゴ」というジャンルの音楽です。
ここで、タンゴについて簡単に触れてみます。
タンゴはアルゼンチンのダンスミュージックで、1880年代にブエノスアイレスのはずれの貧民街で誕生したと言われています。
アルゼンチンの伝統的な踊りと、アルゼンチンに連れてこられた奴隷たちがもたらしたリズムが融合し、タンゴが生まれました。
タンゴの特徴として、バンドネオンによる官能的な響きが挙げられます。
バンドネオンはアコーディオンやコンサーティーナと同じ蛇腹楽器に分類される楽器です。
タンゴが生まれた当初はヴァイオリン、ギター、フルートなどで演奏されていたのですが、20世紀になってドイツからバンドネオンが大量に輸入されたことで瞬く間に広がり、タンゴに欠かせない楽器として定着しました。
タンゴは初めこそ貧民の音楽と扱われていましたが、次第に上流階級の人々にも膾炙し、月日の流れとともに国民的な音楽となりました。
ですが、月日の流れによって広まったタンゴは、同じく月日の流れによって他のジャンルの音楽が隆盛したことに伴い次第に衰退していきました。
アストル・ピアソラ
リベルタンゴの作曲者であるアストル・ピアソラはアルゼンチンの作曲家であり、バンドネオン奏者です。
ピアソラはタンゴと共に生まれ育った・・・と思いきや、17歳の時にタンゴの音楽性を知るまではタンゴとは縁遠い生活をしていました。
アルゼンチン人でありながらタンゴを外からの目で見ていたピアソラだからこそ、次第にタンゴに限界が訪れていることを察知しました。
そんなピアソラはアルゼンチンを飛び出してヨーロッパやアメリカでクラシックやジャズを学び、それらとタンゴとの融合を試みました。
こういったピアソラを保守的だったアルゼンチンのタンゴ界は非難しました。
しかし、世界はピアソラのタンゴを評価し、結果タンゴはアルゼンチンのみならず世界中に広がりました。
ピアソラは1992年に亡くなるまでタンゴの発展に寄与し、タンゴの巨匠で在り続けたのです。
リベルタンゴ
タンゴとピアソラについての前置きが終わり、いよいよリベルタンゴについてです。
1974年発表の作品。Libertangoという単語は、「自由」 libertad と「タンゴ」tango と合わせて作った造語による。フアン・ペロンが大統領に返り咲くようなアルゼンチンの雰囲気に嫌気をさして、イタリアで演奏活動していたときの作品。
アルゼンチンといえば今でも政治・経済のゴタゴタが絶えない国ですが、ピアソラが生きていた当時のアルゼンチンもそうだったのでしょう。
さて、肝心の楽曲についてですが、リベルタンゴにはタンゴ、クラシック、ジャズとピアソラが学んできた音楽の他に、当時流行していたロックの雰囲気も盛り込まれています。
タンゴはダンスのための音楽であり、主役はあくまでダンスでした。
ですが、ピアソラはリベルタンゴにてそういった概念を破壊し、踊るためのタンゴから音楽として聴くタンゴを作り上げたのです。
楽器にしてもバンドネオンというタンゴの要素は継承しつつも、エレキギターやエレキベース、シンセサイザーなどの新しい楽器を意欲的に取り入れてもいました。
そして現在、リベルタンゴはタンゴを代表する曲であると共に、タンゴという枠組みにとらわれず様々なアーティストの手でカバーされています。
リベルタンゴは自由のタンゴ、その名の通りジャンルの垣根を超えて音楽の世界を自由に羽ばたいているのです。

- アーティスト: アストル・ピアソラ
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2013/02/20
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